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Bricoの放浪記

ガンを乗り越えて、ゆる〜〜く旅する生き方を選んだ 旅と免疫力アップの日々のブログ

フィジーの歴史についてちょっと考えた。

昨日、15年ぶりくらいの知り合いにフェイスブックでつながりました。

知人というより 民族楽器の先生です、16、7年前 タブラ(インドの打楽器)をその先生に習っていたのですが あまりに私のリズム感が悪く というよりインドのリズムパターンが複雑怪奇、種類多過ぎでまったく出来が悪い生徒だったのです、

ある日カフェで先生のシタール、その他の民族楽器、(オーストラリアの)デジュリドゥ奏者、等ががセッションをしていてメンバーの一人がブリコさんもタブラで参加したらいいと言われたときに

「ブリコさんには今世紀中は無理でしょう」と先生に間髪入れずに言われ、

今世紀って2000年になったばかりなのに100年無理ってこと?

だったらタブラやめようと あっさり習うのを止めてから 疎遠になってしまった先生です。

その頃は 吉祥寺にいらっしゃたのですが 現在福岡に在住ということで 私は福岡出身なのでそんな話と近況をメッセージでお伝えしたら

フィジーのインド人はインドのどの地域から来たのですか?との質問メールが きました。

こちらに来る前多少フィジーについては予備知識を持ってきましたが ここのインド人がどこから来たかというところまでは知りませんでした、

フィジーは紀元前からメラネシアポリネシアの混血でフィジー民族が形成されていましたが1643年にオランダ人がフィジーを確認、その後イギリス人がキリスト教を布教し 銃を持ち込んだためフィジーの混乱の時代が始まった、

この混乱を治め フィジー諸島を統一したザコンバウ王が キリスト教に改宗、

1874年 イギリスにフィジー譲渡を申し入れ その後100年ほどのイギリス植民地時代が始まる。

イギリスは植民地でサトウキビ栽培のプランテーション経営をはじめ 労働力としてインドからインド人を多量に送り込んだ、

その子孫たちが現在フィジーの人口の約半数を占め、民族対立もある、

なので フィジーの街中にはサリーを売っている洋品店もよく見かける カレー屋も多いし それ以外の店もたいがいはインド人経営、多分 経済をぎゅうじっているのはインド人だろう。

もともとのフィジー人は気候も良く 食べるものにもさして困らず、コミュニティの中で助け合いの精神が強く、なんでも平等で平穏な民族なので あくせく働くという気風がないのだろう、よくも悪くも呑気で陽気な人達なのだ、一所懸命働くインド人とは違う。

そのインド人がインドのどこから送り込まれたか?

今日は休日(ムスリムの人たちのお祭りの日?)で 友達と一緒に出掛ける予定だったので インド人にあったら聞いてみようと思っていた、

しかしいざインド人に出会うと 歴史の中で 出稼ぎとは書いてあるが それは半ば強制的というか あまりよくない方法で連れてこられたんじゃないかと思うと、自分たちの先祖が芳しくない歴史を持っているかもしれない人に

「あなたのルーツはインドのどの地域からやってきましたか?」と聞くのは気が引けてしまった。

なのでビーチで出会って話をしたフィジー人のお婆さんに聞いてみたところ

マドラスやその他の地域でネパールから来た人もいるということでした。

 

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